マツコ・デラックスの番組出演で大失敗…「一発当てたい人」はなぜ上手くいかない?――歌舞伎町・10億円女社長

 

http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/9/7/976b9_963_088f3042_1982183c.jpg

こんにちは、内野彩華(うちのあやか)です。

 新宿・歌舞伎町にキャバクラを4店舗、銀座にクラブを2店舗経営する、年商10億円の歌舞伎町の女社長。そんな私が野心の大切さを説く、この連載。第13回は「一発当てたい人は一発も当たらない」というお話です。

 今回は、わたしが強欲のために失敗したお話です。欲望が強いあまりに「一発当てる」ことばかりを考えて全く成果がでなかった経験と、今できることを着実にこなしていくうちに成果がでるようになった経験を紹介します。

 

◆一発当てるための努力に明け暮れていた日々

 学生時代、私が銀座のクラブでアルバイトをしていた頃のこと。バイト先のクラブのオーナーの口ぐせは「うちの店は売上が12億円あるんだよ」でした。1店舗で12億円、クラブの利益率はだいたい20%なので、ざっと見繕ったとしてもオーナーの給料は2億4000万円。

「いずれは自分のお店を持ちたい!」と思っていた私は、素直にスゴいと思う反面、銀行からお金を借りる能力も実績もなく、お店を出すにはなにか一発ラッキーなことが起こらないかな、といつも考えていました。

 例えば「クラブのオーナーが私の彼氏になって店を譲ってくれるとか」「私のお客さんがパトロンになってくれて突然お店を開けるとか」。そういう一発ラッキーが起これば、店を持てると本気で思っていました。

 働いている店のオーナーにこびを売ったり、太いお客さんが私を指名してくれるようにがんばってみたりと、日々一発当てるための努力に明け暮れていたのです。

 

◆退路を立って独立の準備をした就職後

 お客さんの中には「1億円くらい出すよ」とパトロンになってくれそうな人もいましたが、話を進めようとすると「ホテルに行こう」としか言わなくて、その都度、いいようのないイライラに襲われたのを覚えています。

 結局、うまくいった話は一つもありませんでした。

 その後、就職して昼間の仕事に就いた私でしたが、学生時代とくらべて給料は大幅減。出費と給料のバランスが追いつかず、「会社を辞めてやる」と決めたときには、水商売時代に出会った夜と昼の仕事を何度も繰り返して結局どっちもモノにならない先輩方のようには絶対になりたくないというプライドだけが唯一の支えでした。

 小さいお店でもいいから、自分で経営するお店を開こう。これで失敗したらもう後がないと退路を立って独立の準備をしました。

 

◆「1年後にキャバクラをつくるから来てほしい」

 店を開く場所付近のキャバクラに面接に行って、ついた席全部のお客さんに「1年後にキャバクラをつくるから、そしたら来てほしい」と必死に営業しました。そこでたくさんのお客さんを掴みました。そして実際に歌舞伎町を歩いて、不動産屋さんを回りました。

 お金がないので、保証金を10か月から1か月まで下げてもらって、家賃も交渉。結局、内装費をかけなくていいリース店舗を借りて、25坪50万円の保証金1か月と前家賃の1か月分の100万円を払って、ようやく営業を開始しました。

 それから今日までの15年間、毎日現場に立って少しずつ店を大きくしていきました。そのちいさな積み重ねのおかげで年商10億円を超える企業になったのです。

 そんな経験をしていたのに、魔がさした時期がありました。

 

◆「筆談ホステス」ブームに乗ろうとして失敗

 今から12年くらい前だったと思います。「筆談ホステス」が注目され、キャバクラブームがやってきました。メディアはこぞってホステスやキャバ嬢に取材をしています。しかし、テレビでも頻繁に紹介される銀座のクラブホステスや歌舞伎町で有名なキャバ嬢たちは忙しいので、やがて私のところにもテレビの出演依頼が舞い込んだのです。

 初めて出演したテレビ番組は、高校時代に毎週見ていた『恋のから騒ぎ』でした。収録現場のスタジオはとても楽しかったです。何度かテレビに出ていたら今度は出版社から依頼が来て、初めて本を出版しました。

 当時は本のことなんて何もわからなかったけれど、編集者からアドバイスをもらいながら何度か直しているうちに気づいたら本ができていました。

 なにより、テレビと本の効果は店にとって絶大で、知らないお客さまが私の店にも足を運んでくれるようになりました。

 

マツコ・デラックスさんとの共演で大失敗

 私は「もっとテレビに出たい」「もっと本を書きたい」と強く願うようになりました。ただ、自分には特技や実力がないことが自分でよくわかっていたので、いかに派手なことを言って目立つ存在になるか、本を書くためにいかに編集者をだまくらかすかばかりを考えていました。

 世間では「一発屋」という人たちがいます。どちらかというと、一発屋はネガティブなイメージですが、私はむしろ一発屋になりたいと思っていました。一発屋になるために、炎上がいいのか、有名人とのスキャンダルがいいのか…。そんなことを真剣に妄想する毎日でした。

 そんなとき、マツコ・デラックスさんが司会をする『アウトデラックス』に出演する機会があり、目立ちたい一心で破天荒なことを言いまくりました。それを見ていたお客さんが去っていったこともありました。

 数回テレビに出て、本も数冊書きましたが、10年たって残ったのは、「ビッチでヤリマン」というイメージ。なんの成果も残らなかったのです。

 

◆「一発当てたい」私の目を覚ました言葉

 そんなある日のこと。私は友達に「派手な記事を書きたい。どうしても一発当てたい」と相談しました。

 すると、「そういう人は一発も当たらないんだよ」と言われた挙句、「人のために役に立つ記事なら一緒に考える。でも、炎上を目的とした記事は手伝えない」ときっぱり言われてしまいました。
 
 何事にも信念を持って臨んでいる友達はすごいなと思いました。それに引き換え、私はこの10年間、テレビや本に関してなんの信念も持たず、単なる有名になるための活動を毎日繰り返していたことを改めて思い知らされました。

 そこで、ようやく気づいたのです。私にできること。それは派手な水商売の話や恋愛話ではなく、失敗の多い人生だからこそ失敗から学んだことを一つずつお話していくことなのだと思いました。

 

◆積み重ねた人だけが毎回当てられる

 一発当てようと思うことは、豆腐のような土地に一生懸命お城を建てようと頑張るのと同じです。まずは固くて頑丈な土地を作ってからお城を建てないと、せっかく建てたお城が見事に崩れ去ってしまいます。

 それでも、私のように強欲だと、ついつい一足跳びに成果がでることばかりを考えてしまいます。でも結局後に残るのは、小さいことでも今の状況でできることを着実にこなしていったことだけです。

 その数が実績になるのです。実績をひとつずつ積み上げていくと、やがてそれが夢につながっていきます。

 日々着実に実績を積み重ねていける人は、一発どころではなく毎回当てられるようになります。でも、一発当てたい人は、一発も当たらないのです。<文/内野彩華>

 

【内野彩華】
新宿歌舞伎町キャバクラ「アップスグループ」オーナー。株式会社アップス代表取締役社長。津田塾大学卒業。25歳のとき、当時勤めていた外資系IT企業をやめて、歌舞伎町にキャバクラを開業。現在、歌舞伎町にキャバクラを4店舗、銀座にクラブを2店舗展開するまでに。キャバ嬢の育成やキャバクラの立ち上げ、経営改善のコンサルティングなども行い、グループ年商は10億円にもおよぶ

 

引用元

news.livedoor.com

 

人生そんなうまくいかないか...