20年たっても心の傷が癒えていない性犯罪被害者がつづった闘病日記

https://rpr.c.yimg.jp/im_siggu6reE0wq9AuyOzIh9vedmg---x800-n1/amd/20180501-00084681-roupeiro-000-5-view.jpg

 

 A子さんが『創』編集部を訪ねてきたのは2011年9月初めだった。本人から電話があり、会いたいということだった。12年ぶりの再会だった。

 編集部を訪れた彼女は、声もか細く、今にも倒れそうな弱々しい印象だった。手首に包帯を巻いているのは、明らかにリストカットの跡であった。

 彼女は1998年に大々的に報道された某大学集団レイプ事件の被害女性である。当時はまだ19歳。この秋に33歳になった。事件当時、この被害女性に直接会って話を聞いたのは『創』だけだった。

 事件は97年11月13日未明に起きた。彼女が警察に被害届を出して捜査が動き出し、学生らが次々と逮捕されたのは98年1月20日だった。計8人の学生はいずれも実名・顔写真入りで、「レイプ犯」「鬼畜」などとセンセーショナルに報じられた。20日に逮捕されたのは5人、その後24日に他大学の学生も含め3人が逮捕された。

 当時『創』がこの事件に取り組んだのは、逮捕された学生のうち2年生だった2人の親たちが、あまりにセンセーショナルな報道に反発し、BPO放送倫理・番組向上機構)に申し立てたり、週刊誌を提訴したのがきっかけだった。当時の報道が事実と違う内容も多く、あまりにひどいというのだった。

 報道内容を検証するために、事件に関わった学生たちに個別にあたり、逮捕された学生のうち4人に話を聞けた。そして被害女性にも接触した。1カ月近く続いた騒動だったが、当事者に直接取材した週刊誌やワイドショーはほとんどなかった。

 そもそも被害女性の母親も取材は受けたことがないと言うのだが、幾つかの週刊誌には堂々とコメントが掲載されていた。恐らく警察から情報を得たのだろうが、伝聞情報を「告白」と銘打って載せたものだったため、細かい事実関係は間違いだらけだった。

 まだ騒動の渦中だったため、本誌の取材に応じてくれた人たちも冷静というわけにはいかなかった。特に被害女性のA子さんには母親と一緒に話を聞いたのだが、事件について話しながら涙を流し、取材の途中で呼吸困難に陥った。

 そして、その彼女が事件から12年を経て、編集部を訪ねてきたのだった。

 

 実は彼女は、事件によるPTSDから抜け出せず、心に深い傷を負ったままなのだった。この間も、リストカット自傷行為を繰り返し、突発性難聴や原因不明の高熱も続いているという。そして彼女は、何とかそこから抜け出すために、敢えて事件と向き合うことを決め、編集部を訪ねてきたという。両親は、彼女がこれ以上傷つかないようにと事件についての報道は極力見せないようにしていたため、彼女は自分の証言の載った雑誌をまだ読んでいなかったのだという。

 事件と向き合うことで、自分のトラウマを克服しようというのは、投薬治療では限界があると判断した精神科医の勧めでもあり、母親もそう思ったのだという。同時にA子さんは、その年の東日本大震災で辛い体験をし、PTSDになっている人もいるに違いないと考え、自分の経験を通してPTSDについて多くの人に知ってほしいと考えたという。

 その後、私は本人から何度か話を聞き、12年ぶりに彼女の実家も訪ねて母親にも話を聞いた。A子さんは、治療のために専門医にも足を運んでいた。そして、そうしたプロセスを日記に記し、自分自身を見つめようとし始めたのだった。

 

『創』でA子さんの闘病日記を公開して以降、多くの人から連絡をもらった。ほとんどが自分も同じ目にあったという女性だった。なかにはA子さんと同じような精神状態に自分も陥っているとして、治療法について詳しく尋ねてきた女性もいた。

 A子さんとはその後も時々メールをやりとりしてきた。そしてさっき電話をして、久しぶりに話をした。冒頭に書いたように、精神的傷はまだ癒えておらず、まだ治療を続けている状態だ。

 事件からもう20年を超えている。

 性犯罪は魂をも犯す、と言われるが、現実は深刻だ。

 

引用元

news.yahoo.co.jp

 

本当にこんなこと起きてはいけない・・