懲役13年の性犯罪者が体験を語る 刑務所の治療プログラムとは

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懲役13年の判決に「人生が終わった」と
 懲役13年の判決を宣告されたとき、「人生が終わった」と感じました。「こんな長期の刑を科されるほど酷(ひど)いことはしていない」と加害責任を否認し、「13年も服役させられたら、更生できるものもできなくなってしまう」と、刑事司法制度を批判しました。塀の中での13年という時間の重みを想像できなくて、自分のほうが被害者であるかのような思考に陥っていたのです。

 何の落ち度もない被害者の人生を決定的に傷つけておきながら、自分の人生を守ることで精一杯になっていたなんて、鬼畜にも劣る卑劣漢だと非難されて当然です。しかも当時の私は、自分が身勝手で、ものごとを自分に都合よく解釈していることさえ自覚できていませんでした。

 こうした歪んだ思考のことを、性犯罪治療では「認知の歪み」と呼び、徹底的な修正が求められます。一般的に性犯罪は、性衝動の高まりや、偏った性的嗜好が原因と理解されがちですが、実際には、認知の歪みや親密な対人関係の不足、不適切な情動統制の習慣、共感性の不全などの要因が、複雑に影響しあって発生する行動だと言われています。こうした性犯罪につながる様々な要因(リスク)に対し、認知行動療法などの科学的アプローチによって介入を行い、再犯を防ぐための新たな行動様式を習得していく取り組みが「性犯罪治療」です。

 2017年7月、性犯罪の厳罰化などを盛り込んだ改正刑法が施行され、メディアでも大きく報じられました。以前に比べれば、被害の実情に沿った刑罰を科せられるようになりましたが、個人的には、性犯罪がまんえんする社会の現状は変化しないだろうと感じています。刑法が影響を与えられる範囲は「被害の事後」に限られており、加害の抑止という点ではほぼ無力だからです。そもそも、事後対策ばかりに目が向いて、加害を防ぐ対策がおろそかになっている時点で「加害者の思うツボ」です。事後対策の拡充と並行して、加害を未然に防ぐ対策も強化しなければ、「未来の被害者」は守れないのではないでしょうか。

 加害者に治療や更生の機会を提供することは、「加害者支援」に映ってしまうのかもしれません。被害者支援も不十分な中、加害者に手を差し伸べるなど時期尚早だというご意見もあろうかと思います。しかし性犯罪は被害者に、長期にわたって深刻かつ広汎なダメージを与え続ける極めて悪質な犯罪です。加害者の分際で恐縮ですが、性犯罪対策は「事後では遅い」と思います。

「加害者に恩恵など与えてたまるか」と考えるのか、未来の被害者を無傷のまま守ることを優先するのか――。社会で議論していただきたいと願っています。

通称「R3」という治療プログラム
 刑務所では2006年から、性犯罪受刑者を対象にした治療プログラムが実施されています。「性犯罪再犯防止指導」(通称:R3)と呼ばれるこのプログラムは、全国77施設のうち、19の施設で運用されています。私の場合は2015年5月に、現在服役している刑務所から広島刑務所に約1年間移送され、再犯リスクが高いと判定された受刑者向けの「高密度用プログラム」を受講しました。

 高密度用プログラムは約8カ月のプログラムで、グループワーク形式で実施されます。個別のカウンセリングなどは原則実施されません。

 グループは30代から60代までの受刑者7名と、2名のスタッフ(男性グループリーダーと女性カウンセラー)で構成されました。このメンバーが週2回、それぞれが就業する工場での作業を抜けて集合し、1回100分のセッションを全64回行います。

 私はR3を受講する6年半ほど前から、社会内の専門家と連携した自主的治療を開始しており、R3にはある程度の知識をもって臨みました。グループに治療経験者が含まれていることは、他のメンバーにも刺激となっていたようです。

 セッションは、受刑者とスタッフが車座になって行います。刑務所では、管理する側の職員と管理される側の受刑者という「縦の関係」が強調されがちですが、R3では、できる限りスタッフと受刑者の垣根を取り払う工夫が施され、対等で協働的な「横の関係」を築くように促されます。

 考えてみれば、仮釈放や懲罰をちらつかせて受刑者を服従させる刑務所の処遇モデルは、暴力や脅迫、ワイロなどを用いて他者を性的に支配する性犯罪者の行動原理とどこか似ています。R3は刑務所内で実施されながらも、刑務所がその実効性を体現する支配的な対人関係をリスクとみなし、刑務所的文化に対抗する「向社会的文化」を受刑者に体験させるプログラムなのです。

 グループには当初、3つの「ルール」が用意されていました。真剣に話す、真剣に聞く、秘密を守るというものです。後にこのルールには、私たちのグループ独自の4つ目のルールが付け加えられることになります。

 じつは私たちのグループでは、26回目のセッション時に、メンバー間の意見の伝え方をめぐって大紛糾が起きました。その日は「性にまつわる認知の歪み」という重要単元に取り組む予定だったのですが、この紛糾によって、プログラムの進行がストップしてしまったのです。

 こうした事態に対しては、スタッフが刑務所的な介入をして収束を図ることもできたのだと思います。しかし、そこで強権を発動していれば、「対等で協働的な横の関係を大切にする」というR3の価値観は瓦解していたことでしょう。そうした手段を執らず、グループの互助力に解決を委ねたスタッフを私は心から尊敬します。

 かくして私たち受刑者は、この紛糾をきっかけに、グループワークに取り組むことの意味と、グループの一員としての自己の役割を自らに問い直すことになりました。その結果生み出されたのが、「仲間の再犯防止を互いに支える」という私たち独自のルールです。

 私はこのルールをグループの総意で編み出せたことを誇りに思います。仲間との横のつながりを持てると、こんなに素晴らしい気持ちになれるんだという生きた体験を経たことは、性犯罪につながる支配的な対人関係を自ら手放し、対等で協働的な人間関係を築いていこうとする原動力になっていると感じます。

5科目で構成されたテキストとワークブック
 私が受講した高密度用プログラムは5科目で構成され、科目ごとにテキストとワークブックが用意されています。その日学習するテキストの単元を読み合わせた後、グループ討論に移るのが、セッションのおおまかな流れです。

 ワークブックの課題は、各自が刑務作業を終えて、居室に戻ってから取り組むように指示されます。

 テキストの内容は多岐にわたるので、その全容を網羅することはできそうにありません。ここでは私自身のエピソードも交えながら、そのエッセンスだけでもご紹介させていただければと思います。

●第1科『セルフ・マネージメント(自己管理)』  

 この科では性犯罪につながる28のリスクを学び、それに対するマネージメント方法を検討します。また「自分史」や、加害に及ぶまでの行動と思考の連鎖を記録した「行動ステップ分析」を作成して、自身のリスクと性犯罪を引き起こすトリガー(引き金)の同定を行います。

 そのうえで、リスクが生じてきたことに気づくための方法や、トリガーへの対処方法などを「セルフ・マネージメント・プラン」(SMP)と呼ばれる再犯防止計画書にまとめていきます。このSMPがR3の最終成果物になります。「自分史」「行動ステップ分析」「SMP」は、グループ内で発表の機会が与えられ、メンバーからのフィードバックを受けて各自が更新作業を繰り返します。

 私は自分史作成の過程で、10代の頃の性的ではない問題行動と、これまでに起こしてきた性犯罪行動の数々が、ほぼ同一の行動原理に根差していることを発見し、自分のことながら慄然(りつぜん)としました。

 高校1年生のとき、私は仮病を使って長期入院をしています。進学した高校への不適応感を募らせていた私は、身体的症状を次々と捏造して入院を長引かせ、検査のための手術まで受けました。当時の私にそこまでの自覚はありませんでしたが、今から思えば、家族やクラスメイトに注目されるのが嬉しくて、芝居を打つことをやめられなくなっていたのだと思います。これは、「ミュンヒハウゼン症候群」と呼ばれる病態に近いかもしれません。

 一方で事件は、架空の人物を装って被害者を脅し、自身は脅迫者から被害者を守る存在として姿を現す手口で行いました。私は脅迫者を騙って性行為を強いながら、あたかも自分が被害者を守っているように見えるよう巧妙に振る舞う。被害者から見れば、目の前にいるのは自分を守ってくれる存在なので頼りにしてしまう。被害者を助ける態(てい)を装って接近し、加害に及ぶという点では、神奈川県座間市の9人殺害事件とも手口が通底する、自作自演の悪魔的な犯罪です。

 これは、母親が子どもに毒を盛りながら、かいがいしく看病する姿を演じることで存在感をアピールしようとする「代理ミュンヒハウゼン症候群」の病態と酷似しています。つまり私の問題行動は、10代の頃から一貫して、自己の存在価値を示すために行われてきたことになります。

 私は長年、自分が犯した罪の意味を理解できずにいましたが、ここにきて、ようやく自身が性犯罪に求めていたものの本質を感得しました。ミュンヒハウゼン症候群が代理ミュンヒハウゼン症候群エスカレートしたという仮説は私自身にとっても衝撃的でしたが、『存在感の危機に直面すると、それを払拭するための不適切行動を起こす』という特定のパターン(トリガー)を発見できたことは、非常に大きな収穫だったと思います。

 こうしたトリガーの同定から、存在感の危機に直面したときの対策として、「性犯罪者の自助グループに参加して仲間の再犯防止に貢献する」や、「セックスや他人を傷つけない方法でも存在感を発揮する方法があることを思い出す」、「たとえ存在感が脅かされても、そんなことは誰にでもよくあることだとセルフトークをする」などの対処をSMPに盛り込みました。こうして雑誌に掲載する原稿を綴ることも、ある意味では比較的穏当な方法で存在感を発揮する実践の一環と言えるかもしれません。

注:以下、第2科~第5科と説明が続くが割愛する。読みたい人は前述したサイトをご覧いただきたい。手記の最後のくだりを紹介して一文を終えることにする。

塀の中での治療が社会内でどれほど効力を発揮するのか
 宣告されたときには絶望的に思えた懲役13年でしたが、塀の中での丸10年の治療を経て、私は2018年に満期出所を迎えます。長期の治療で、私のパーソナリティーは曲がりなりにも変化を見せ、人生が格段に回復している手応えを感じています。私にとっての懲役13年は「人生の終わり」などではなく、人生を再生するための得難い「転機」となりました。しかしこの治療と回復が、被害者の犠牲の上に成立している不条理を思うと、途轍もない罪責感を覚えずにはいられません。

 また、現状では、出所後の帰住先も、生計を立てる手段のあてもなく、再犯リスクが最も高くなるパターンでの社会復帰となる可能性が濃厚です。塀の中での治療が社会内でどれほど効力を発揮するのかも未知数で、私は今なお多くのリスクを抱えていることを進んで認めないわけにはまいりません。こんな私が出所することに社会の皆様は同意してくださるのか、社会の声を聴かせて欲しいという思いもあります。認知行動療法だ、再犯防止スキルだと言ったところで、生活基盤がなければ絵に描いた餅でしかなく、強い危機感を抱いています。

 出所後の帰住先や就労については刑務所にも相談を願い出たのですが、「その種の相談には今後も応じない」と一蹴されてしまいました。

 再犯防止に対するプログラムの効果が15%前後であるのに対し、生活基盤などの環境が与える効果は約40%と言われています。2016年12月には再犯防止推進法が施行され、政府や各自治体が各種の施策を打ち出している情勢を考えると、旭川刑務所の対応は些か杜撰なようにも思われます。とはいえ、刑務所からの心ない対応を受けても、私の更生にかける意欲は微塵も揺らぎません。

 私には罪の経験を活かして、性犯罪を防ぐ社会に貢献する責任があると思います。その責任を果たしていくことが、罪人である私の『存在価値』です。

 いつか、自身の回復を進めながら、同じ問題を抱える仲間たちを支えるための場所を作り、運営に携わりたい。そうした活動を広げていくことでしか、未来の被害者は守れないと私は信じるのです。

 

引用元

news.yahoo.co.jp

 

ちゃんと直してほしい