「歩く100億円」「心斎橋のシンデレラ姫」「美魔女経営者」女性社長たちが歩んだ波乱万丈人生

http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/7/1/71238_1585_8dd57fe00ece4b2d456c2b9a1f3d1afa.jpg

女性ならではの感覚とセンスを活かし、一流の起業家となった人々がいる。ある者は幼少期の貧困をバネに、またある者は元夫からのDV、離婚という過酷な経験を超えて。そんなユニークな女性経営者たちの波瀾万丈な人生を紐解いた。

■「歩く100億円」が強さを学んだ極貧時代

 1人目は「歩く100億円」の異名を持つ、「よし川グループ」の吉川幸枝社長。10本の指すべてにド派手な指輪が輝く。「なぜ10本なのか?指は10本以上ないでしょ?だから10本着けることで、私の上に行かせない。私がトップ」と豪語する。さらに巨大なピンクダイヤの指輪を指し、「"カラット"と言っている間は宝石じゃない。グラムになって宝石なの」とまで言ってのける。

 

よし川グループは名古屋に拠点を構え、市内の千種区堀割町で「よし川ビレッジ」を営む。およそ1万平方メートルにも及ぶ敷地内では和食3軒、イタリアン2軒、フレンチ1軒を展開。さらに喫茶店、ブティック、宝石店なども合わせ、グループの年商は70億円に達する。

 1935年、愛知県で13人きょうだいの末っ子として生まれた吉川。5歳で父親を亡くし、極貧とも言える生活を送った。母とともに名古屋にやってきた際に持っていたお金はわずか50円。「今の価値に換算すると5000円くらいかしら。その50円で2カ月間、なんとか過ごした。それが今の私の知恵になっている。究極的には、飢えて食べられない時の知恵は何よりも強い」。

 母と住み込みで働きながら学校へ通った。「母は明治の女で、凛としていた。ある時、『どこで寝るの?』と聞くと『夜露で死ぬようなことはない』って。要するに夜空で寝るんですよね」。住む所も満足になかったにもかかわらず、あっけらかんとしている母の強さ学んでいった。

 「食べるものがなくても、考えればすごいことが見つかる」。ある日、青果店の前を通った際、店主がしわしわになった野菜の葉っぱを捨てようとしていたところを目にした。迷わず「欲しい」と伝えた。「その代わり、たくさんの葉っぱを毎日もらうんだから、『私に掃除をさせてください』と申し出ました。そうしたら時々いい野菜も入れてくれる。もらった野菜は井戸水で冷やしておくと次の日にはパリッパリの野菜に戻っているんです」。野菜だけではない。「ご飯は閉店間際のどんぶり屋さんに出かけていくんです。大事なのは大きい鍋で持っていくこと。ちょっとしか入れないと少なく見えちゃうから、たくさん入れてくれる」と笑顔で振り返る。

 

そんな貧困時代を経て、今や"歩く100億円"と呼ばれるまでになったことについては、「想像もしてなかった。なんでも1番が良かった。2番は考えられなかった。1番を選べない人は、自分のエネルギーに負けて道が長くなる。私は1番の場所を取る。だから私は名古屋の駅前の1番いい場所を取りました」。

 創業から約40年。一時は全国50店舗以上を運営していた「よしかわ」を各店長に譲り、現在は「よし川ビレッジ」に力を注ぐ。中には2年ですべてを覚え、店長になって店舗を任される人もいるという。

 「私が一人で50店舗やっていたら、管理が難しい。フランチャイジーをやっていては結局ナンバーワンになれない。他人の店だと思ってやるから水道を開けっぱなしにしておカネを捨てているのに痛くも痒くもない。自分の店だと思えば、誰もサボらない。"自分のリスク"のないことはだめ」と喝破する。

 「よし川ビレッジ」では一流のシェフを招き、徹底的な"本格志向"を続ける。「夏になると、ちょっとした懐石ならお椀は200万円のモノを出す。本物を出し続けることは勝つ。突き抜けた1番はひとつしかない」。あくまで吉川の頭の中には"1番"しかない。

■「メイクは4~5時間かかる」"心斎橋のシンデレラ姫"の転機は新幹線

吉川と並ぶほどのインパクトを持つ女性経営者がいる。それが「ブライダルサロン・ルアージュ」の松本明子社長だ。大阪では超有名人で、"心斎橋のシンデレラ姫"の異名を持つ。特徴は何よりド派手な見た目だ。「世界一盛れてる。極上ハッピーのてんこ盛り」と語るシンデレラのような髪型は、「尊敬する。なんでもやりきることの強さを感じる」と吉川も絶賛する。

 

 ルアージュ大阪市中央区心斎橋の商人の街、船場の一画にある。店内にある、ベルサイユ宮殿をイメージした特注品の豪華な応接セットは350万円だという。ウェディングドレスは自宅保有分を合わせると1000着にものぼる。

 そんな"心斎橋の姫"は熊本県に生まれた。。独特な服装は「小さい頃から」。短大卒業後、服飾関係の会社に就職、ひょんなことからウェディングドレスに関わるようになり、1987年に創業する。

転機は結婚・出産を終え、子育てをしながら働いていた時に訪れた。新幹線の中で、いつも通りのド派手なドレスを着ていたことから、「ドレスメーカーの部長に『ファッションやってるんじゃない?』って声を掛けられた。『うち、ドレスを手がけているんだけど売れない。どうすればいい?』」。ドレスが大好きだと伝えると、デザイナーとして意見を求められたという。

 松本が思ったまま「ドレスにお花をつけたい、リボンをつけたい」とアドバイスをした結果、売れ行きが伸びた。効果はそれだけではなかった。デザイン・企画にとどまらず、展示会に立つことによって、売れ行きはさらに伸びていったのだ。松本はこう述懐する。「当時だいたいドレスって40~50万、もっと高いのもあった。みんな着たいけど、高いから着れない。リーズナブルにドレスを着てほしい。だから高くても10万円で販売した」。あえて低価格に価格を設定し、敷居を下げた。

 「メイクは4~5時間かかる。化粧を落とすのにも1時間かかるんです」。独特な眉毛は「ハッピーマユマユなんです」。文字通り24時間ドレスを身に着けているという松本。「家に帰ってもドレスっぽいものを着ている。ネグリジェとか。ジーパンは履かない」。

■ガラスコーティングの価値に気付いた"美魔女"

 吉川、松本に続く3人目は"元美魔女コンテストのファイナリスト"の経営者、長谷川夕希子社長だ。小物から住宅備品まで幅広い分野でガラスコーティングを行う「カーリス」は2016年5月の創業ながら、同年度1000万円の売上に育っている。

 1969年、神戸生まれの東京育ちだった長谷川は、"超"のつくお嬢様だった。歯科医と結婚、11年間の専業主婦生活の末、DVで離婚することになる。その後、不動産業界で働いてた時に出会ったのが、ガラスのような被膜を施すガラスコーティングの技術だ。これを女性目線で用途を変えればもっと商売になるのではないかと、カーリスを立ち上げた。

ガラスコーティングを「女性目線」で商売にするとは一体どういうことか。その答えは長谷川がかつて働いていた不動産業界にあった。「不動産でリノベーションをする競売物件とか事故物件を見に行っていた。フローリングの床や大理石が傷んでいると、その張り替えに一番おカネがかかる。そうすると利益が少なくなってしまう」。

 そこでガラスコーティングを床に施すことで傷みが少なくなる上、ワックスがけをする必要もなくなり、さらにすべり止め効果もある。さらに、このガラスコーティングをiPhoneやブランド品にも転用したのだ。

 「ガラスコーティングはどんなものにもできることも強み。材質を選ばない上に質感も全然変わらない。エルメスやシャネルはいい値段する割にへたってしまう。そこにガラスコーティングをすると傷や手垢などが付きにくくなるし、劣化も防止できる」。

 だが、優れた技術でも知ってもらわなければ売上にはならない。長谷川が目につけた先が、あのドンキ・ホーテだった。

 ある時、長谷川が買い物をしている時に気がついたものが、エアコン掃除サービスのパック販売だった。「まずユーザーが目にする場所に陳列することが大事だ」と感じ、行き着いたのがドンキ・ホーテだった。携帯・スマホの保護フィルムコーナーに、ガラスコーティングのサービスの購入券を置いた。

 

 もう一つ、長谷川が戦略的に進めたのが会社を表参道に置いたことだ。その理由は「スマホ購入から立ち寄り」だ。「原宿、表参道には大手の携帯会社の拠点がある」。新型のiPhoneを購入したら、すぐに長谷川のもとに持ってきてもらおうというのが狙いだ。「金額は3500円+税金。意外だったのは、裏面もコーティングされる人が多かったこと」。

 美魔女という見た目とは裏腹に「喋り方や内面はすごく男っぽい」と自己分析する長谷川。「見た目で舐められる。女社長で適当にやってないのかと思われる。『明日までにお支払いただかないと厳しいですね』と言いながら、内心は『払えよコラ!』と思っている」と意外な一面を明かす。「美魔女経営者」ならではの苦悩もあるようだ。

 3人に、それぞれの経営哲学を尋ねた。

 "歩く100億円"の吉川は「誰もが正義感と知恵は持っている。しかし実行する勇気が足りないので夢に届かない」、

 "心斎橋の姫"の松本は「感謝の心で宇宙極上ハッピー」、

 "美魔女経営者"の長谷川は「すべての結果には理由がある」。

 

引用元

news.livedoor.com

 

億万長者の方にも昔は自分と同じ、むしろそれより恵まれない環境に

いた事を知り可能性は無限大だと改めて思いましたね。